石塚硝子 バーチャルタウン

資料館

土田のびいどろ再現
2. 良質の硅石を求めて

石塚岩三郎が美濃の土田でガラス作りを始めることとなったのは,「良質の硅石を発見したから」とされていることから、その「硅石」を探すところからプロジェクトはスタートしました。
あまり技術の発達していなかった江戸時代、無色透明に近いガラスを作るためには白いチャート(微小生物の死骸が集まってできた堆積岩)があればいいという結論に至り、まず、木曽川周辺での白いチャート探しが始まりました。木曽川(鵜沼)の河原木曽川(鵜沼)の河原
その後、可児市の鳩吹山、古城山あたりがチャート層だとわかり、平成19年3月、鳩吹山に登り、白いチャートを見つけることができました。
この鳩吹山のチャートを使い、江戸時代の技法で、ガラス製造実験を行いました。江戸時代のガラス製造法で作るガラスは、回を重ねる毎に完成度が増していき、ほぼ完成と思われるものができたことで、可児市の鳩吹山、古城山のチャートがガラス製造に適していることがわかりました。
岩三郎が発見した良質の硅石はおそらくこのチャートではなかったかと思われます。 鳩吹山のチャート層鳩吹山のチャート層

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