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資料館

わが町「岩倉」
5. 山内一豊

山内一豊の父盛豊は、岩倉織田家の重臣として黒田城の城主でした。
一豊の誕生地についてはこの黒田(一宮市木曽川町)と岩倉の2説がありますが、定かではありません。いずれにしても一豊が岩倉落城の際に父を失い、一家をあげて逃れたのが15歳のときです。その後、苦労に苦労を重ね、掛川50,000石の領主となり、関が原の合戦後の慶長5年(1600年)11月、土佐一国の領主に封ぜられました。そして高知城の築城が終わった慶長10年(1605年)、61歳の生涯を閉じました。
一豊の妻、見性院(「千代」の名で知られています)は、ひそかに貯えた黄金で一豊の欲しがっていた名馬を購入し、その馬が主君信長の馬揃えの際に信長の目にとまり加増されたという話は、「内助の功」で夫を支えたエピソードとして有名です。「山内一豊公誕生地」の碑「山内一豊公誕生地」の碑
この他にも、岩倉市には歴史にまつわる話や、名所もいくつかあります。詳しくは岩倉市ホームページをご覧下さい。

◇参考文献:「岩倉市史」

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