石塚硝子 バーチャルタウン

資料館

わが町「岩倉」
4. 岩倉城の時代

斯波家(管領家・尾張守護)の家督相続に伴い、守護代である織田家も一族を二分して争うこととなりました。
文明11年(1479年)、岩倉城を本拠地とする織田伊勢守敏弘と、清洲城を本拠地とする織田大和守敏定の両織田家による尾張分割支配が始まりました。その後、約80年間が岩倉城の時代となります。
弘治元年(1555年)織田信長が清洲城を奪い、尾張経営に乗り出しましたが、岩倉織田家は、信長に対する最後の抵抗者となっていました。
 
永禄元年(1558年)、2回にわたり信長は岩倉方を攻撃し(浮野合戦)、これにより岩倉方は決定的な打撃を受けました。そして、永禄2年(1559年)、優位に立った信長は岩倉城を囲み、町に放火し城を孤立させました。
2・3ヶ月の篭城の後、最後の岩倉城主、織田信賢は降伏し、岩倉城落城となりました。このとき、城郭は破却され城下町岩倉は完全に壊滅しました。織田信長が事実上尾張の支配者となったのは、まさにこの岩倉城落城からとなります。 岩倉城跡岩倉城跡

バーチャルタウンTOPへ

© ISHIZUKA GLASS CO.,LTD. All rights reserved.