石塚硝子 バーチャルタウン

資料館

石塚硝子の歩み
2. びいどろとのめぐりあい

長崎は鎖国体制にあった江戸時代、江戸幕府公認の国内唯一の国際貿易港・出島があり、オランダとの交易が行われていました。異国情緒に満ちたこの町では海外からの珍しい品物が多くありましたが、岩三郎はある日、ビードロとめぐり会います。その美しさに魅せられた岩三郎は「これこそ自分の生きる道」と心を定め、知り合ったオランダ人からガラスの製法を学びました。
苦労に苦労を重ね、やっと商品として通用できる製品を作ることができるようになった岩三郎は長崎の地を後にし、江戸を目指しました。江戸へ行くために中山道を通りましたが、「鵜沼の宿」で一夜の宿とさせてもらった寺の住職から、近くの多治見方面にガラスの主原料である硅石(けいせき)があると聞きました。
そこで岩三郎はこの地に腰を落ち着け、硅石探しを始めました。

やがて良質の硅石を発見した岩三郎は美濃の土田(現在、岐阜県可児市土田)に永住の地を求め、念願のビードロづくりを始めることとなりました。
時に文政2年(1819年)の11月、これが石塚硝子の歴史の始まりとなりました。 初代岩三郎オランダ人よりガラスの製法を学ぶ初代岩三郎(想像図)

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