嘉永3年(1850年)尾張藩主は27歳の徳川慶勝公でした。慶勝公は幕末が生んだ名君の一人と言われており、藩政の改革を断行し藩力を高めることに尽力したことで有名です。
初代岩三郎使用のルツボ さて、岩三郎は時々、城下町名古屋に足を運んでいました。詳しい経緯はわかりませんが、岩三郎のビードロ細工が、慶勝公の目にとまり、岩三郎はビードロ細工を慶勝公に納めることになりました。ビードロ細工を作るための製作費に困った岩三郎は、庄屋の村瀬吉右衛門に相談し、立替をしてもらうことになりました。その時の覚書が残っていますが、岩三郎が慶勝公に何を納めたのかは記録が残っておらず、わかっていません。
土田村庄屋が初代岩三郎に与えた覚書