石塚硝子 バーチャルタウン

資料館

石塚硝子の歩み
5. 昭和初期、技術の革新

3代目岩三郎の長男、正信は東京の蔵前高等工業高校(東京工業大学の前身)窯業科を卒業しました。蔵前高等工業高校は、日本ではじめてガラスに関する講座を開いた学校です。ここで学び、郷里の名古屋に戻った正信は父岩三郎から製造技術上の全責任を負わされることとなりました。

正信は在学時代から考えていた開口ルツボに取り組み始めました。苦労の末、昭和2年(1927年)7月、ついにシーメンス式タンク窯での白生地の溶融に成功しました。 シーメンスタンク窯の図初めて白生地溶融に成功した当時のシーメンスタンク窯の図
その後、昭和12年(1937年)12月には、当地方で初めての全自動成形機を導入しました。また、この頃、石炭から重油への燃料転換が行われました。

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